「カティンの森」


1939年9月17日、ドイツ軍に西から追われる人々と、ソ連軍に東から追われた人々が、ポーランド東部ブク川の橋の上で出くわした。いったいどちらに行けばよいのか。逃げ惑う人々のなか、クラクフから夫のアンジェイ大尉を探しに来たアンナ、娘のニカと大将夫人ルジャが出会った。アンナとニカは川向こうの野戦病院へ、大将夫人は逆にクラクフへと向かう。

ンジェイや友人のイェジなどの将校たちは、ソ連軍の捕虜になっていた。妻と娘の目の前で、彼らは軍用列車に乗せられ、東へと運ばれていく。兵士たちはドイツ軍の捕虜となり、将校たちはソ連軍の捕虜となった。事の成り行きに疑問を持ったアンジェイは、目撃したすべてを手帳に書きとめようと心に決める。ソ連占領地域に取り残されたアンナはクラクフへ戻ろうとするが、国境を越える許可が下りない。

1939年11月、アンジェイの父ヤンを始めとするクラクフのヤギェロン大学教授たちが、ドイツ軍に逮捕され、ザクセンハウゼン収容所に送られた。

1939年クリスマス・イヴ、大将の家ではポーランド伝統のクリスマス・ディナーの席にルジャ夫人がつき、娘のエヴァが庭で一番星を待っている。同じ時刻、コジェルスク収容所に閉じこめられている大将や将校たちも一番星が出るのを待っていた。見張りの兵の合図で彼らもクリスマスの食卓につく。大将は、将来のポーランド再建のための担い手となるようにと部下たちを励まし、全員で聖歌を歌った。

春、アンナとニカはようやく国境を越えてクラクフの義母のもとに戻った。義父ヤン教授死亡の報が届くなか、アンジェイの無事を信じる母、妻、娘の三人の女性はアンジェイの帰りを待ち続ける。

じころのコジェルスク収容所。発熱したアンジェイは、イェジからセーターを貸してもらった。そのセーターを着たままアンジェイは、大将や空軍中尉ピョトルらとともに別の収容所に移送される。イェジはその場に残された。

1943年4月、ドイツは一時的に占領したカティン(ソ連領)で“虐殺された多数のポーランド人将校の遺体を発見”と発表した。「クラクフ報知」に載った犠牲者のリストに、大将とイェジの名前はあったが、アンジェイの名はなかった。大将夫人はドイツ総督府に呼び出され、遺品の軍功労賞を返される。そしてドイツがカティンで撮影した記録映画を見せられた。

1945年1月18日、クラクフがドイツ占領から解放された。そして物語は新たな登場人物を加えてさらに続いていく……。