P A S T F I L M S
1989年11月25日(土)~1990年3月16日(金)
原題 Paura e Amore
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1988年/イタリア=フランス=西ドイツ映画/イタリア語/113分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース
チェーホフの美しい3人姉妹が現代のボローニャを舞台によみがえる。100年前に夢みたチェーホフの希望や憧れはむなしくなったけれど、女性たちは励ましあいながら強く生きてゆくことを示唆したM・V・トロッタ監督の名作に、多くの観客が共感した。
1989年10月7日(土)~1989年11月24日(金)
1989年8月12日(土)~1989年9月29日(金)
原題 Ceddo
ウスマン・センベーヌ監督/1976年/セネガル映画/ウォロフ語/119分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
きわめて簡素で詩的な映像が作品の意図を明確に伝える。アフリカの人々の心がみる者の心にひびき、エキプ100本目にふさわしい傑作との声が高かった。
1989年6月17日(土)~1989年8月11日(金)
1989年3月18日(土)~1989年6月16日(金)
原題 Les Possédés
アンジェイ・ワイダ監督/1987年/フランス映画/フランス語/116分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
演劇「ナスターシャ」と映画「悪霊」が同時に日本で公開されたことにより、両分野にわたるワイダの実力と功績を、はじめて目のあたりにすることができた。
1988年11月26日(土)~1989年3月17日(金)
原題 The Whales of August
リンゼイ・アンダーソン監督/1987年/アメリカ映画/英語/91分/カラー/スタンダード/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
高齢化時代を迎えた日本で、今もっとも関心あるテーマを描いたこの作品は、31週で14万人を動員。エキプ最高のヒット作となった。このヒットによりリリアン・ギッシュから感謝状が届き、スタッフ一同感激。
1988年8月13日(土)~1988年11月25日(金)
英題 Tomorrow
黒木和雄監督/1988年/日本映画/日本語/105分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
1945年8月9日、長崎に原爆が投下される前日から投下直前まで、心やさしい人々の生活を淡々と描いた黒木監督の秀作。その描き方と、私たちの“明日”への問題定義が、観客の一人一人に人間の生命の尊さを強く訴えた。近年日本映画の収穫との声が高い。
1988年3月26日(土)~1988年8月12日(金)
英題 Hibiscus Town
シェ・チン(謝晋)監督/1987年/中国映画/中国語/165分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和
岩波ホール初の中国映画。巨匠、謝晋監督が、文革時代を逞しく生きぬく庶民の姿を描ききって、中国近年の大ヒットとなったこの作品は、日本でも幅広い層の観客に深い感銘を与え、20週間という長期上映に大成功を収めた。主演の劉暁慶の来日も話題となった。
1988年3月12日(土)~1988年3月25日(金)
ワンダ・ヤクボフスカ監督/1985年/ポーランド映画/ポーランド語/96分/カラー/配給:女たちの映画祭
女たちの映画祭発足10周年記念上映会
1988年2月27日(土)~1988年3月11日(金)
ワンダ・ヤクボフスカ監督/1948年/ポーランド映画/ポーランド語/109分/モノクロ/配給:女たちの映画祭
女たちの映画祭発足10周年記念上映会
1987年12月5日(土)~1988年2月26日(金)
原題 Kronika wypadków miłosnych
アンジェイ・ワイダ監督/1986年/ポーランド映画/ポーランド語/120分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
ワイダ監督が「鉄の男」以来、5年ぶりにポーランドへ帰還して撮った作品。1939年のリトアニア地方を舞台に、戦争直前の若い恋人たちの生き方を自らの青春に重ね合わせ、郷愁と鎮魂の思いをこめて祖国の運命を描いた。その思いが、観る者にワイダ監督の原点をあらためて想起させた。
1987年9月12日(土)~1987年11月20日(金)
原題 Rosa Luxemburg
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督/1985年/西ドイツ映画/ドイツ語/122分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
女たちの映画祭発足10周年記念上映会
1987年8月22日(土)~1987年9月11日(金)
1987年7月18日(土)~1987年9月11日(金)
原題 Dokument, Fanny och Alexander
イングマール・ベルイマン監督/1986年/スウェーデン映画/スウェーデン語/110分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
1987年5月30日(土)~1987年7月17日(金)
原題 L’Avenir D’Emily
ヘルマ・サンダース=ブラームス監督/1984年/西ドイツ=フランス映画/フランス語/107分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース
1987年4月4日(土)~1987年5月29日(金)
原題 La Historia Oficial
ルイス・プエンソ監督/1985年/アルゼンチン映画/スペイン語/115分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:松竹富士
1987年3月28日(土)~1987年4月3日(金)
1987年2月7日(土)~1987年3月27日(金)
原題 Düşman
ユルマズ・ギュネイ監督/1979年/トルコ映画/トルコ語/125分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール
1986年11月29日(土)~1987年2月6日(金)
原題 Sürü
ユルマズ・ギュネイ監督/1978年/トルコ映画/トルコ語/122分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール
1986年10月18日(土)~1986年11月28日(金)
原題 Ghare-Baire
サタジット・レイ監督/1984年/インド映画/ベンガル語/139分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
隔絶された世界がわずかながら外に向かって開かれる。詩聖タゴールの原作をレイ監督が的確に映像化した名作。二度も三度もみたという観客が多かった。
1986年9月6日(土)~1986年10月17日(金)
原題 L’Adolescente
ジャンヌ・モロー監督/1979年/フランス映画/フランス語/94分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース
フランスの光と風に彩られて、少女から大人へ、マリーのほろ苦い夏休みの思い出。モロー監督はその第2作目で、懐かしい名画にも似た感動を観客に与えた。
1986年7月12日(土)~1986年9月5日(金)
英題 Hello Kids !
宮城まり子監督/1986年/日本映画/日本語/99分/カラー/スタンダード/配給:アトリエまり子
ハーレムの少年との交流を通して、ねむの木の子どもたちは今度はダンスに挑戦する。本当の愛とは、教育とは、優しさとはを問い続ける宮城監督の第4作。
1986年5月17日(土)~1986年7月11日(金)
英題 How to Care for the Senile
羽田澄子監督/1986年/日本映画/日本語/84分/カラー/スタンダード/配給:岩波映画
痴呆性老人の心にふれ、決して失われることのない人間の尊厳をみつめた貴重なドキュメンタリー。羽田監督の大らかな作風が、人々に生きる勇気を与えた。
1986年3月21日(土)~1986年5月16日(金)
原題 Otac na Sluzbenom Putu
エミール・クストリッツァ監督/1985年/ユーゴスラヴィア映画/セルボ・クロアチア語/136分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
政治の波にもまれながら人々は泣き、笑い、歌う。6歳のマリクの目を通して描かれたユーゴスラヴィアの夜明け。1986年ナンバーワン作品の声が高い。
1986年2月8日(土)~1986年3月20日(金)
原題 Alsino y el Condor
ミゲール・リッティン監督/1982年/ニカラグア映画/スペイン語/83分/カラー/スタンダード/配給:国際シネマライブラリー
中南米5カ国の映画人たちの協力で完成したニカラグア初の長編劇映画。大空を飛ぶ鳥に自由の夢をたくして、少年はさわやかな笑顔で解放軍の一員となる。
1985年11月23日(土)~1986年2月7日(金)
原題 Rue Cases Nègres
ユーザン・パルシー監督/1983年/フランス映画/フランス語/106分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース
ジョゼの澄んだ瞳が、故郷アフリカの魂をとく老人たちの心を真直に受け入れる。そのすがすがしい少年の姿が共感をよび、忘れられない名作となった。
1985年8月17日(土)~1985年11月8日(金)
原題 Pikoo
サタジット・レイ監督/1981年/インド/ベンガル語/26分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
両親の確執、母と愛人の情事のもつれ、祖父の急死。完璧な台本と完璧な演出で描く少年ピクーの1日。レイ監督がテレビ用に作った珠玉の短編である。
1985年8月17日(土)~1985年11月8日(金)
原題 Sadgati
サタジット・レイ監督/1981年/インド/ヒンドゥー語/50分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
インド社会の階級制の矛盾に真正面から取り組んだレイ監督の問題作。昼は「ファニーとアレクサンデル」、夜はレイ作品というプログラムが、多くの観客の称賛を受けた。
1985年7月6日(土)~1985年11月22日(金)
原題 Fanny och Alexander
イングマール・ベルイマン監督/1982年/スウェーデン=フランス=西ドイツ合作映画/スウェーデン語/311分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
少年と少女の眼を通して見る大人の世界とは。5時間11分の長時間を一気に見せて、ベルイマン監督の実力をまざまざと思わせた夏休みの話題作。20週の上映。
1985年6月29日(土)~1985年8月16日(金)
英題 AKIKO—A Portrait of a Dancer
羽田澄子監督/1985年/日本映画/日本語/107分/カラー/スタンダード/配給:アキコ・カンダ事務所
モダンダンサー、アキコ・カンダの舞台と日常生活を追い、羽田監督は記録映画の分野に新たな視点を打ち出した。再映を望む声が多く寄せられている。
1985年4月27日(土)~1985年6月28日(金)
英題 Kunisaki Monogatari
村野鐵太郎監督/1984年/日本映画/日本語/112分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:鐵プロダクション
大友宗麟の青年期を、村野監督が力強く描く。初めて触れた西欧文明。F・ザビエルとの運命的出会い。仏教、キリスト教を共に確実に表現して好評だった。
1985年3月9日(土)~1985年4月26日(金)
原題 Brzezina
アンジェイ・ワイダ監督/1970年/ポーランド映画/ポーランド語/98分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
ワイダ監督のもう一つの貌。溢れる抒情に彩られた兄と弟の物語。不安にゆれる一枚の風景画のようなこの作品で、ワイダ監督はまた新しいファン層を獲得した。
1984年11月10日(土)~1985年3月8日(金)
英題 For Kayako
小栗康平監督/1984年/日本映画/日本語/117分/カラー/スタンダード/配給:劇団ひまわり
小栗監督の第2作。静かにひそやかに語られる青年と少女の出会と別れを見終わったあとで、何をお前はしてきたのかと、鋭く問いかけられることに気づく。
1984年9月29日(土)~1984年11月9日(金)
原題 Ko To Tamo Peva
スロボダン・シヤン監督/1980年/ユーゴスラヴィア映画/セルビア語/87分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
こんなに面白い映画は見たことがないというのが、観客の異口同音の感想であった。興行収入の1割を「フィルムセンター焼失フィルムの募金」にあてるべく、上映全期間をチャリティーロードショーとしたのは、日本映画興行始まって以来の試みだという。
1984年7月21日(土)~1984年9月28日(金)
1984年6月9日(土)~1984年7月20日(金)
原題 Deutschland Bleiche Mutter
ヘルマ・サンダース=ブラームス監督/1980年/西ドイツ映画/ドイツ語/124分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:大映インターナショナル
戦争が弱者に及ぼす影響の無残さを描いて、女性にも男性にも深い感動を与えたこの作品は、上映期間を急遽延長するほどの成功を収めた。キャンペーンで来日した美しくも力強いブラームス監督の次回作が期待される。
1984年5月12日(土)~1984年6月8日(金)
1984年3月31日(土)~1984年5月11日(金)
原題 Emitai
ウスマン・センベーヌ監督/1971年/セネガル映画/ウォロフ語/100分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール
黒人アフリカン映画の最大の巨匠ウスマン・センベーヌ監督の日本初公開作品。その素朴で鮮烈な映像は人々を魅了した。2月に来日したセンベーヌ監督が記者会見の席上、私が描くテーマは政治以外にないといった言葉が印象的であった。
1984年2月11日(土)~1984年3月30日(金)
原題 Danton
アンジェイ・ワイダ監督/1982年/フランス=ポーランド映画/フランス語/136分/カラー/スタンダード/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
エキプ発足10周年記念作品の第1弾。ワイダ監督は、フランス革命をもう一つの側面から見つめることによって、ダントンとロベスピエールの宿命的対決をくっきり描き出すことに成功。7週間の上映期間では観客を収容しきれず、「エミタイ」終了後、4週間のアンコール上映を行った。
1983年12月3日(土)~1984年2月10日(金)
原題 Iphigeneía
マイケル・カコヤニス監督/1978年/ギリシャ映画/ギリシャ語/127分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
わが子を犠牲にしても権力を得ようとする夫アガメムノン王に対するクリュタイムネストラ妃の激しい怒りは、次の悲劇を生むことになる。ギリシャ神話「イフゲニア」の忠実な映画化であるこの作品は、女性観客の圧倒的な支持を受けた。
1983年11月5日(土)~1983年12月2日(金)
原題 eskolko Intervyu po Lichnym Voprosam
ラナ・ゴゴベリーゼ監督/1978年/グルジア(ソビエト)映画/ロシア語/95分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画
あなたは幸せですかと読者に問いかける女性記者が、自らの生き甲斐を求めて苦悩する。現代社会を反映するこの映画に男性観客からも強い共感が寄せられた。
1983年10月1日(土)~1983年11月4日(金)
原題 Muzhiki !……
イスクラ・バービッチ監督/1981年/ソビエト映画/ロシア語/97分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画
「男たちよ」の原題をもつこの映画の上映中、よい映画を有難うというお礼の言葉を、私たちは何度も受けた。
1983年8月6日(土)~1983年9月30日(金)
原題 Molière
アリアーヌ・ムヌーシュキン監督/1978年/フランス=イタリア映画/フランス語/235分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
待望久しいフランス映画の大作が観客を大動員。フランス太陽劇団のムヌーシュキンが脚本・監督、クロード・ルルーシュ製作で映画化した。来日したムヌーシュキン監督の暖かく力強い人柄が人々を魅了した。
1983年7月2日(土)~1983年8月5日(金)
英題 The Love Suicides at Sonezaki
栗崎碧監督/1981年/日本映画/日本語/87分/カラー/スタンダード/配給:栗崎事務所
近松門左衛門の名作文楽。自然の風景の中で演じる文楽の人形たち。女性監督ならではの大胆で画期的な試みに、多くの賛辞が寄せられた。
1983年6月4日(土)~1983年7月24日(金)
1983年5月21日(土)~1983年7月1日(金)
原題 Aguirre, Der Zorn Gottes
ウェルナー・ヘルツォーク監督/1972年/西ドイツ映画/ドイツ語/93分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画
ニュー・ジャーマン・シネマの金字塔と謳われたこの作品の公開により、ヘルツォーク監督の真価が世に問われた。
1983年3月12日(土)~1983年5月20日(金)
原題 A Ilha dos Amores
パウロ・ローシャ監督/1982年/日本=ポルトガル映画/日本語、ポルトガル語、広東語/170分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
ローシャ監督が15年の歳月を費して追求した孤愁の作家モラエスの世界。岩波ホール創立15周年記念作品。
1982年11月13日(土)~1983年3月11日(金)
原題 Vaghe stelle dell’orsa
ルキノ・ヴィスコンティ監督/1965年/イタリア映画/イタリア語/100分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
この作品をもってヴィスコンティ監督の長編劇映画はすべて日本で紹介された。黒白の画像が美しく輝く中期の代表作。
1982年9月25日(土)~1982年11月12日(金)
原題 La Règle du Jeu
ジャン・ルノワール監督/1939年/フランス映画/フランス語/106分/モノクロ/スタンダード/配給:フランス映画社
その日本公開が長く待たれていただけにこの作品がゴダールやトリュフォー監督をはじめ、多くの映画作家たちのバイブル的存在であることを十分納得させた。
1982年8月28日(土)~1982年9月24日(金)
原題 Listopad
オタール・イオセリアーニ監督/1966年/グルジア(ソビエト)映画/ロシア語/96分/モノクロ/スタンダード/配給:日本海映画
グルジアの映像詩人オタール・イオセリアーニ監督のデビュー作。人間の暮しの尊さをしみじみと、そしてユーモラスに描き、グルジア映画の実力を遺憾なく発揮した。
1982年8月14日(土)~1982年8月27日(金)
原題 Cánh đồng hoang
グェン・ホン・セン監督/1980年/ベトナム映画/ベトナム語/95分/モノクロ/スタンダード/配給:「無人の野」普及委員会
日本で上映された初の解放後のベトナム映画。戦いのさ中に繰り広げられる親子の美しい情愛を描き、限りない示唆に富む名作として、観客に深い感動を与えた。
1982年8月7日(土)~1982年8月13日(金)
英題 Ode to Mt.Hayachine
羽田澄子監督/1982年/日本映画/日本語/186分/カラー/スタンダード/配給:自由工房/ドキュメンタリー
1982年8月2日~6日、9日~13日、30日~9月3日
衣笠貞之助監督は1982年2月26日、85歳でご逝去された。衣笠先生のご一生は、日本映画史を語ることと同じであるが、岩波ホールの歴史もまた、衣笠先生なしには考えられない。
1982年6月26日(土)~1982年8月6日(金)
原題 Ansikte mot ansikte / 英題 Face to Face
イングマール・ベルイマン監督/1975年/スウェーデン映画/スウェーデン語/119分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
ベルイマンの監督生活30周年記念作品。ここにも絶えざる生の不安というテーマが色濃く映し出されていたが、とりわけリヴ・ウルマンの演技が素晴らしかった。
1982年5月29日(土)~1982年6月25日(金)
英題 Ode to Mt.Hayachine
羽田澄子監督/1982年/日本映画/日本語/185分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール/ドキュメンタリー
早池峰山麓の小さな町に生きる人々の生活を静かに描いて、圧倒的支持を受けた。観客の要望に応えての1ヶ月後のアンコール上映は前例のないことである。
1982年3月20日(土)~1982年5月28日(金)
原題 O Megalexandros
テオ・アンゲロプロス監督/1980年/ギリシャ=イタリア=西ドイツ映画/ギリシャ語/208分/カラー/スタンダード/配給:フランス映画社
「旅芸人の記録」で多くのファンを得たアンゲロプロス監督の作品。2月、キャンペーンのために来日した監督にさまざまなインタビューが行われ話題を呼んだ。
1981年12月5日(土)~1982年3月19日(金)
原題 Il Gattopardo
ルキノ・ヴィスコンティ監督/1963年/イタリア=フランス映画/イタリア語/186分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和
ヴィスコンティ監督の再評価が高まる中で、貴族社会の壮麗な落日を描いたこの作品もまた、巨匠ヴィスコンティの存在の偉大さを、あらためて認識させた。
1981年10月10日(土)~1981年12月4日(金)
原題 Höstsonaten / 英題 Autumn Sonata
イングマール・ベルイマン監督/1978年/スウェーデン映画/スウェーデン語/92分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
イングリット・バーグマンを初めて起用したベルイマンは、母娘のエゴイズムを直視し女性観客の感動を誘い、大ヒットとなる。
1981年8月8日(土)~1981年10月9日(金)
原題 Ziemia Obiecana
アンジェイ・ワイダ監督/1975年/ポーランド映画/ポーランド語/172分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画
ここには資本主義勃興期のポーランドを舞台に「大理石の男」「鉄の男」へと続くポーランド民衆の底力がひしひしと感じられた。
1981年6月27日(土)~1981年8月7日(金)
原題 Mon oncle d’Amérique
アラン・レネ監督/1980年/フランス映画/フランス語/127分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:東宝東和
常に独創的芸術映画で問題提起を行うアラン・レネは、男女の精神と行動を動物実験と対比させながら、現代文明社会の歪みを描く。
1981年5月23日(土)~1981年6月26日(金)
原題 Simabaddha
サタジット・レイ監督/1972年/インド映画/ベンガル語/112分/モノクロ/スタンダード/配給:岩波ホール
出世コースをひた走るビジネス・エリート、目的のために手段を選ばぬその姿は、日本社会のエコノミック・アニマルを思わせ、共感を呼ぶ。
1981年4月18日(金)~1981年5月22日(金)
原題 Shatranj ke Khilari
サタジット・レイ監督/1977年/インド映画/ヒンディー語/121分/カラー/スタンダード/配給:岩波ホール
サタジット・レイは、危うい国の運命も知らずにチェスにうつつを抜かす2人の貴族の姿を通してイギリス植民地政策を鋭く批判する。
1981年3月7日(土)~1981年4月17日(金)
原題 Scener ur ett äktenskap / 英題 Scenes from a Marriage
イングマール・ベルイマン監督/1974年/スウェーデン映画/168分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:メダリオン・エンタープライズ
ベルイマンは、ほぼ全編夫婦2人だけの会話により、夫婦間の愛情、憎悪、嫉妬、挫折、苦悩、またそれを通り越して到達した人間愛を緊張感の中に描く。
1980年11月8日(土)~1981年3月6日(金)
原題 Ludwig
ルキノ・ヴィスコンティ監督/1972年/イタリア=西ドイツ映画/イタリア語/184分/カラー/シネマスコープ/配給:東宝東和
19世紀末のバイエルン国王ルードウィヒ二世の半生を耽美的に描いたヴィスコンティの超大作。岩波ホールにおける興行成績の記録を樹立した。
1980年9月6日(土)~1980年11月7日(金)
原題 Człowiek z Marmuru
アンジェイ・ワイダ監督/1977年/ポーランド映画/ポーランド語/161分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:日本ヘラルド映画
1980年夏のポーランドの大ストライキを予見したこの作品は、真の芸術家がもつ力の強さを観客に示した。
1980年7月26日(土)~1980年9月5日(金)
英題 Love Can Make a Rainbow
宮城まり子監督/1980年/日本映画/日本語/86分/カラー/スタンダード/配給:ATG
ねむの木の小さい画家たちの絵をスクリーン一杯に拡げたこの美しい作品の完成まぎわに、宮城まり子監督は病をえ、車椅子の上から初日の挨拶を行なった。
1980年6月14日(土)~1980年7月25日(金)
原題 Zerkalo
アンドレイ・タルコフスキー監督/1975年/ソビエト映画/ロシア語/108分/カラー/スタンダード/配給:日本海映画
そのたぐい稀な映像美と詩情豊かなメッセージは、タルコフスキーのファンを確実にふやした。
1980年4月26日(土)~1980年6月13日(金)
原題 Que Viva Mexico!
セルゲイ・エイゼンシュテイン監督/1979年/ソビエト映画/ロシア語/86分/モノクロ/スタンダード/配給:日本海映画
幻の名画として長く上映が待たれていたこの作品の公開は、エイゼンシュテインの名を改めて人々に思い起こさせた。
1980年3月22日(土)~1980年4月25日(金)
原題 Mudar de Vida
パウロ・ローシャ監督/1966年/ポルトガル映画/ポルトガル語/94分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
ネオリアリズムの手法で、貧しくとも強く生きる漁村の若者を描いたこの作品は、素朴な美しさが人々に感動を与えた。
1980年4月25日(土)~1980年4月25日(金)
原題 Os Verdes Anos
パウロ・ローシャ監督/1963年/ポルトガル映画/ポルトガル語/86分/モノクロ/ヴィスタヴィジョン/配給:岩波ホール
ポルトガル映画の日本初公開。地方出身の青年の青春の挫折を描きみずみずしい映像感覚が若い観客の共感を呼んだ。
1980年2月9日(土)~1980年3月21日(金)
原題 La Chambre Verte
フランソワ・トリュフォー監督/1978年/フランス映画/フランス語/94分/カラー/スタンダード/配給:東宝東和
監督自身一番好きだというこの作品は亡き妻への記憶に生き続ける主人公を描き、その美しい映像が印象的であった。