支配人のコラム <岩波ホールのはじまり>
2020年10月09日(金)

支配人のコラム <岩波ホールのはじまり>

支配人挨拶

現在、一時休館中の岩波ホールですが、めったにない機会ですので、この期間中に、支配人の岩波律子の コラムを、月に2回、掲載することにいたしました。岩波ホールが、いわゆる単館系の映画館としてスタ ートしたのは、“エキプ・ド・シネマ”運動を開始した1974年でしたが、今回は、1968年の開館当初から の様々な文化的な催しについて、少しずつご紹介してまいります。どうぞお楽しみください。

 

<支配人のコラム 岩波ホールのはじまり>

観客の皆さまお変わりなくお過ごしですか。9月下旬より改修工事がはじまり、2021年の2月5日まで、4か月の休館となります。

その間、しばらくホームページの更新もありませんので、この機会に、1974年からスタートした、エキプ・ド・シネマの活動以前のことを振り返ってみたいと思います。

岩波ホールは1968年に多目的ホールとしてスタートしました。当時の岩波雄二郎社長は、開館の際、フランスで映画を学んで帰国していた義理の妹髙野悦子にこの仕事を依頼しました。そして、同年2月9日にホール開きが行われ、出席したメンバーで健在なのが、社内では私岩波律子だけですが、当時学生でした。当日は、経済学者の大内兵衛さんと作家の野上彌生子さんの講演、朗読は新劇の山本安英さん、舞囃子は能楽師・近藤乾三さんといった方々が登壇され、豪華なホール開きとなりました。当時の座席は232席で、椅子の背には講演会のメモが取れるように、折り畳みの机もついていました。

その後、総支配人となった髙野悦子が情熱をもって、約6年間、さまざまなプログラムに取り組みました。とくに、海外で日本映画の素晴らしさに目覚め、そこからスタートしたのです。主なものだけでも、映画講座と題して、〈戦後日本映画史〉〈日本映画の思想〉〈映画で見る日本文学史〉〈映画で見る日本文学史 大衆文学編〉〈A Season of Japanese Film〉など、さまざまな企画がありました。たとえば2週間ごとに1回上映という形で、ほぼ毎回、講演がついており、いま資料を見返しても、貴重な方々が講師として出演されました。この映画の上映に講演をつける形式は、当時の日本では新しく、おそらくパリのシネマテークなどでの上映の方法を参考にしたのではないかと思われます。

〈戦後日本映画史〉の初日は、髙野悦子の師匠でもある衣笠貞之助監督の「或る夜の殿様」(1946)の上映と、衣笠監督、映画評論家の第一人者岩崎昶(あきら)さんでした。また、〈日本映画の思想〉シリーズでは、1971年に木下恵介監督の「陸軍」を上映し、なんと講師は大女優田中絹代さんでした。ご一緒にお食事する機会を得ましたが、丸いお帽子に、スーツをお召しになり、私には女子高の校長先生に思えました。これは本当に光栄な思い出です。

*写真は、1968年頃の建設当時の岩波神保町ビル

*このコラムは、第2、第4金曜日に掲載いたします。次回は10月23日の予定です。

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