支配人のコラム <洋楽の演奏会、講座、古典、民俗芸能>
2020年11月13日(金)

支配人のコラム <洋楽の演奏会、講座、古典、民俗芸能>

支配人挨拶

支配人のコラム <洋楽の演奏会、講座、古典、民俗芸能>

岩波ホール初期は、日本・外国映画史などと並行して、意義あるさまざまな文化活動が行われました。

音楽では、バロック音楽サークルや、普通ではなかなか体験できないドビュッシー、フォーレ、ラヴェル、プーランクなどの連続演奏会(歌曲、ピアノ、室内楽)などが行われました。歌曲についてはどれも全曲演奏しました。特にフォーレの全歌曲を担当された、バリトン独唱のまだお若かった河本喜介さんの奮闘ぶりを覚えています。これらも、おそらく総支配人の高野がフランス留学によって広げた、友情の輪から生まれた企画ではないかと想像します。

この他、来日コンサートなどもありましたが、印象に残っているのは、69年から70年にかけて9回行われた「ジャズ講座」です。油井正一、児山紀芳、相倉久人さんなど著名人が登壇され、ジャズにまつわる映画上映、講演、パネル・ディスカッションなどがありました。特に、その折に相倉さんが日本の童謡(題名は忘れましたが)を歌いながら、何だかしっくりこないのは、日本語のイントネーションと、曲の上がり下がりが合わないからだ、と説明されてはっとしたのでした。

さて、ハイライトともいうべき、古典・民俗芸能に移ります。神崎ひで女(その後、閑崎ひで女と改名)さんの地唄舞、八代目林家正蔵さんの芝居噺、岡本文弥さんの新内の他に、印象に残ったのは1973年の平曲、津軽三味線、越後瞽女(ごぜ)唄です。

廃絶の危機にあった平曲は、平家琵琶を楽器とした語り物でした。前田流の中で、津軽系の正統の継承者、館山甲午(たてやまこうご)さん、尾張系の第一人者井野川検校さんのお二人です。これが中世から江戸にかけて語られた平家物語なのだ、という感慨を覚えました。

津軽三味線は、当時初めて舞台に上ったという、高橋竹山さん。哀愁を帯びた音色の三味線でした。この時付き添っていた、若い女性が現在の二代目の高橋竹山です。同じく木田林松栄さんは勢いのある演奏で、アメリカではロックがあるから、この三味線も好評だったといっておられた記憶がありますが、なにせお二人の津軽弁は、東京人の私にはよく聞き取れませんでした…

最後に、越後瞽女(ごぜ)唄。瞽女さんは、門付けをしながら山里をめぐる、盲目の女旅芸人です。当時3人だけだった正統高田瞽女の親方、75才の杉本キクエさんと2名が舞台に立たれ、瞽女300年の歴史に立ち会うことができました。冬には雪道を一列になって、前の人の肩に手をかけながら歩んだという、想像もできないきびしい暮らしのお話もうかがいました。

このように、初期の岩波ホールは洋楽だけでなく、日本の古典芸能にも広く目配りをし、本当に貴重な舞台を当時学生だった私も堪能することができたのです。

*写真は、津軽三味線の高橋竹山さん

*このコラムは、第2、第4金曜日に掲載いたします。次回は11月27日の予定です。

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